西鶴自画賛十二カ月
各二三・五×三三・五 紙本淡彩 帖
(伊丹市指定文化財)
西鶴が正月から十二月までの月々の自作の句に、句意をあらわす画を描いたもの。前書と句と画の照応に妙味があり、前書には付句の味わいがある。本点は西鶴が描く画の傑作品。中から一、二の内容を見ると、二月には釈迦の死つまり二月十五日の涅槃会を詠む。前書で、釈迦一代の遺教八千巻の経典を、金子八千貫にとりなす。また仏説には衆生は皆釈迦の子ということから、遺産の八千貫は皆子供たちに与えよ、という。世の中はわからないものだ。無欲で慈悲深いお釈迦様でも、死んだあとに八千貫もの遺産があったの意。金次第の世の中への風刺。四月には、綿入れを脱いで袷になる四月一日の更衣を詠む。春衣裳の袖を連ねて出掛けた花見の花も絶えて、女中が着ている衣も今朝は名残だけという前書。続く句は、長持に春の思い出のこもった春衣裳をしまっていくと、長持の中へ春が暮れていくみたいだの意味。「行く春」を惜しむ和歌的表現を、日常卑近な「長持」と結びつけ、誇張表現した句。